東洋No.1のダム、世界No.1の海底トンネル、国内No.1の高層マンション…
1919年の創業以来、前田建設は時代のニーズに応える挑戦を続け、
幾多の「No.1」を成し遂げてきました。
創業100周年を迎えた2019年、私たちはこれまでの歴史を継承し乗り越え、
新たな「No.1」への挑戦を始めます。
人や社会のライフラインを支える
戦後の復興と高度経済成長期において、社会の発展に欠かせない重要な役割を担ってきた前田。
電力や水の安定供給、水害の防止などに貢献するダム建設、遠隔地への効率的移動や運送を可能とする鉄道・トンネル・橋梁などの建設を通じ、人々のくらしと社会のライフラインを支える存在として成長を遂げていきました。
初代前田又兵衞、飛島組傘下で
「前田事務所」を開設(大正8年1月8日創業)
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電気製鋼所:
木曽福島第2水力発電所受注(長野)
(創業最初の工事)
鉄道省:
北海道天塩線鉄道路盤工事受注(北海道)
東信電気:
高瀬川第2、3、4、5発電所受注(長野)
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北陸電力:
足羽川発電所受注(福井)
太平洋戦争下、資材・労働力不足で
施工中の工事が中断したが、1947年に再開
東北電力:
宮下発電所受注(福島)
「前田事務所」を
「前田建設工業株式会社」へ改組
(昭和21年11月6日創立)
帝都高速度交通営団:
営団地下鉄丸ノ内線受注(東京)
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電源開発:
田子倉ダム受注(福島)
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北陸電力:
有峰ダム受注(富山)
東京電力:
品川火力発電所受注(東京)
日本国有鉄道:
東海道新幹線国府津工区受注(神奈川)
まちの発展に貢献する
土木から建築へと事業を拡大し、人と社会のライフラインを支え、まちづくりへの貢献を重ねてきた前田。
絶えざる挑戦と高い技術力の集積を通じて、今では日本全国17拠点、海外13拠点を有し、社員3,000名を超える総合建設会社へと成長を遂げてきました。
建築部設立
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住宅・都市整備公団:
常盤平団地受注(千葉)
西日本高速道路:
名神高速道路茨木工区受注(大阪)
建設省:
東京税関庁舎受注(東京)
香港政庁:
クワイチュン開発計画第2期受注(香港)
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宮内庁:
皇后陛下御還暦記念桃華楽堂受注(東京)
福井県:
福井県会議事堂受注(福井)
東電設計:
姉崎火力発電所超高圧開閉所受注(千葉)
タイ国道路局:
ランパン─チェンマイハイウェイ受注(タイ)
社是「誠実・意欲・技術」制定
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東京電力:
高瀬ダム受注(長野)
日本鉄道建設公団:
青函トンネル吉岡工区受注(北海道)
東京電力:
福島第2原子力発電所受注(福島)
日本道路公団:
関越トンネル受注(群馬)
本州四国連絡橋公団:
南北備讃瀬戸大橋受注(香川)
タイ空港公団:
バンコク国際空港拡張受注(タイ)
タイ高速道路公団:
ダオカノンーポート高速道路受注(タイ)
牛久市:
牛久駅西口地区第一種市街地
再開発事業受注(茨城)
新都市ライフホールディングス:
光が丘IMA受注(東京)
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建設省:
宇奈月ダム受注(富山)
東京電力:
柏崎刈羽原子力発電所受注(新潟)
東京湾横断道路:
東京湾横断道路木更津人工島受注(千葉)
大京:
ライオンズステーションタワー
東札幌受注(北海道)
中川特殊鋼:
天王洲セントラルタワー受注(東京)
福岡ダイエー:
福岡ドーム受注(福岡)
前田建設:
光が丘J.CITY受注(東京)
香港政庁:
汲水門大橋・馬灣高架橋受注(香港)
東京湾横断道路:
東京湾横断道中央トンネル
木更津北工区受注(千葉)
東京都:
墨田地区清掃工場受注(東京)
香港政庁:
香港新空港旅客ターミナルビル受注(香港)
北九州市:
北九州メディアドーム受注(福岡)
東京電力:
南相木ダム受注(長野)
再開発組合:
新子安駅西地区第一種市街地
再開発受注(神奈川)
持続可能なくらしを支える
千葉市:
千葉市消費生活センター・計量検査所
複合施設PFI特定事業受注(千葉)
リテール事業開始
再開発組合:
室町一丁目地区第一種市街地
再開発受注(福岡)
三菱地所:
M.M.TOWERS 21受注(神奈川)
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再開発組合:
町屋駅前南地区第一種市街地
再開発受注(東京)
香港特別行政区:
ストーンカッターズ斜張橋受注(香港)
勝六再開発:
勝どき再開発THE TOKYO TOWERS
受注(東京)
国土交通省:
東京国際空港羽田D滑走路受注(東京)
台北市政府捷運局:
台北地下鉄松山線CG590A工区受注(台北)
セイロン電力庁:
アッパーコトマレ水力発電所受注
(スリランカ)
環境経営No.1
再開発組合:
飯田橋駅西口地区市街地
再開発事業受注(東京)
脱請負事業開始
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前田建設:
つくば太陽光発電所売電開始(茨城)
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再開発組合:
BIG FRONT ひろしま受注(広島)
住田町:
住田町新庁舎受注(岩手)
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ホーチミン市
都市鉄道公社:
ホーチミン地下鉄トンネル受注(ベトナム)
特別目的会社:
五葉山太陽光発電所売電開始(岩手)
住友不動産:
(仮称)有明北3-1地区(3-1-A街区)
計画新築工事受注(東京)
CSV経営No.1
宮城県:
仙台国際空港(コンセッション)
運営開始(宮城)
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愛知県:
愛知県有料道路(コンセッション)
運営開始(愛知)
住友不動産:
(仮称)有明北3-1地区
(B-2街区・C街区駐車場棟)
計画新築工事受注(東京)
三井不動産レジデンシャル他9社:
(仮称)晴海五丁目西地区
第一種市街地再開発事業5-5街区
板状棟建築物工事受注(東京)
特別目的会社:
八峰風力発電所売電開始予定(秋田)
愛知県:
愛知県国際展示場(コンセッション)
運営開始予定(愛知)
2016年からCSV経営を重要な経営理念の柱と掲げたMAEDAが次の100年に向けめざすもの、それは総合インフラサービス企業として取り組むさまざまな社会課題の解決。その原動力となるものは、建設で培う技術やノウハウです。MAEDAはエンジニアリング力のさらなる進化と新たな価値創造の拠点となる「ICI総合センター」を、茨城県取手市に開設しました。
2018年12月に先行してスタートした「ICIラボ」は、多様なパートナーとの協創により革新的技術開発や新ビジネスを実現するための三つのプラットフォーム機能(場・知・資金)を有します。「場」としては、幅広い最新の基盤実験施設を開放し、先進的オフィスを共有します。「知」では、技術、知財、起業、経営、文化など多様な分野の外部専門家を迎えイノベーターをサポートします。「資金」では、MAEDA SII※2を運用し、市場からの資本調達が困難なベンチャー企業を資金面から支援します。
MAEDAはこの「ICIラボ」を、協創パートナーとともに成長・飛躍し、オープンイノベーションで多様な社会課題を解決するためのCSV経営プラットフォームと位置付けています。
※1 ICI: Incubation(孵化)× Cultivation(育成)× Innovation(革新)
※2 SII: Social Impact Investment
「ICIラボ」に続き、2019年秋には人材育成拠点「ICI人材開発センター」をオープンします。この施設は、閉校した小学校を耐震・改修工事して利活用するもの。170名の宿泊とワークショップが可能な「宿泊棟」、200名を収容し、多目的に利用できる「セミナー棟」 、体育館などで構成されます。知のネットワークによりベンチャー企業・社会・経済の融合をめざす「ICIラボ」に対し、地元自治体・大学・企業・住民など、文化・芸術を加えたネットワークによる新たな価値創造に寄与できる人材の育成と交流の拠点とします。
また、この小学校の跡地利活用は、高度経済成長期に建設された小・中学校の閉鎖や廃校が社会的課題となる中、活用されていない公共施設を再生させる、地域活性化の新しいモデルプロジェクトをめざしたものです。
志あるものがワクワクしながら集まる、未来創造のテーマパーク「ICI総合センター」。MAEDAは、皆が夢を語り、学び、実践する場から生み出すイノベーションで社会課題を解決し、「CSV経営No.1」をめざした挑戦を続けていきます。
100周年を迎えたMAEDAが、次の100年に向けめざすのは、総合インフラサービス企業として取り組む、社会・インフラシステムの革新。請負と脱請負の融合、エンジニアリング力と新たな建設サービスの融合への挑戦として、まず着手したのが再生可能エネルギー事業でした。
2015年に本格稼働し売電を始めた五葉山太陽光発電所。MAEDAは、岩手県大船渡市が震災復興事業として公募したこの事業を、土地をそのまま生かした施工で自然環境への負荷を最小限としたプランを提案して受注。地域主体の地産地消型の再生可能エネルギー事業として、地域社会への価値提供を実現しています。
そして、脱請負の中心となるのが、建設業によって長年にわたり培ってきたエンジニアリング力を核に、事業投資や開発などの上流から運営管理などの下流まで、全ての領域を担うコンセッション事業です。
MAEDAが携わった最初のコンセッション事業は仙台国際空港。2016年7月、当社を含む異業種の企業体により協同運営を開始。建設会社であるMAEDAがメインとしてきたインフラや設備部分の提案だけでなく、空港や街の未来を見据え、持続的な地域の活性化・成長の実現をめざした運用を行っています。
また、愛知県有料道路も、MAEDAを代表企業とするコンソーシアムが優先交渉権者に選定され、2016年10月から運営を開始。道路利用者への安全・安心を最優先した事業運営はもちろん、パーキングエリアをブランド化し整備するなど、地域活性化・地域振興に貢献する道路運営を行っています。2019年9月に国内4番目の広さで運営が始まる愛知県国際展示場(Aichi Sky Expo)では、愛知県有料道路の知多半島道路整備との相乗効果で、周辺地域の産業振興を図ります。
コンセッション事業を通じて地域社会を再生し、さまざまな社会課題を解決する。これが総合インフラサービス企業としてMAEDAが描く未来のビジョンです。
土木事業で身を立てるという志で飛島組の門をくぐった、創業者初代前田又兵衞。1919年(大正8年)1月8日、福井県小和清水の地で、飛島組「前田事務所」として創業しました。これが、前田建設100年の歴史の始まりです。最初に請け負った事業は、長野県木曽川に流入する王滝川での木曽福島第2水力発電所建設。5名にも満たない陣容で取り組んだこの新設工事が、前田建設最初の挑戦でした。現在は跡地に放水口と基礎部だけが残り、当時の面影を伝えています。
初代前田又兵衛は5人の部下を率い、「事業は人格の反映なり」の理念を基に誠実に仕事をしました。後の「良い仕事をして顧客の信頼を得る」にもつながるこれらの理念と姿勢は今に続くDNAです。誠実にものづくりに徹することで顧客と社会との間に信頼感が生まれ、これが次の一歩につながる。この理念は、100年経った現在も前田の変わらぬ普遍的な姿勢として受け継がれています。
続いて請け負ったのが、北アルプスの高瀬川渓谷への4つの水路式発電所建設工事でした。険峻な山岳、もろい岩質、吹き出す熱泉、岩を割るほどの冬の寒さと雪。「猿も顔負けする」といわれた厳しい環境下で、まず道を拓くことから始める難工事。多くの同業者が尻込みする中、初代又兵衞は自ら陣頭に立ち、社運を賭けてこの事業をやり遂げました。
当時、又兵衞のこの真摯な姿を目にした施主側の森矗昶氏(昭和電工創業者)が「先人が不可能といった事業を敢然制服し成就するのは、ただ至誠天を動かす底の人格である」と評したほど。このように、顧客の厚い信頼と部下の強い結束をもたらした高瀬川発電所こそ、創業理念を形にして示した前田の原点ともいえる一大事業でした。
ダム建設のリーディングカンパニーとしての実績で、社会の信頼と期待を高めていった前田。数々の困難なダム建設で培われた技術と経験をもって、事業領域を山間部から市街地へと拡大していきました。まず、1951年(昭和26年)の営団地下鉄丸ノ内線工事から始まった都心での大型土木工事。この成功から、東海道新幹線国府津工区工事、名神高速道路茨木工区工事など、主要都市をつなぐ鉄道や道路の整備を担うようになります。
また、世界最長・最深の海底部分を有する青函トンネルで本州と北海道を、瀬戸大橋で本州と四国をつなぐなど、南北に長い島国日本列島内の移動時間を革命的に短縮。のちに1997年(平成9年)開通する、川崎と千葉を結ぶ東京湾横断道路(東京湾アクアライン)の工事では、世界最大級シールドによる海底での自動掘進とセグメント自動組立の技術を確立させました。このように前田は、数々の難易度の高い国家的プロジェクトに携わり、高度経済成長の基盤となる日本の交通網構築に寄与しました。
昭和恐慌や戦時下という厳しい社会環境の中、過去に経験のない大規模ダム工事への挑戦を続けた前田。戦後間もない1946年(昭和21年)11月6日に「前田建設工業株式会社」として改組し、現在の前田建設が始まりました。そして、1955年(昭和30年)に請け負ったのが、電力の緊急事態に備え計画された福島県只見川上流の田子倉ダムでした。
同時期に建設された佐久間ダムを凌ぐ38万kWの大型ダム建設。競合各社から垂涎の的となったこの工事は、社長として指揮に立った二代目前田又兵衞にとって、まさしく正念場。これを全社挙げての努力で受注し、当時で東洋一と称されたスケールのコンクリート重力式ダムを完成。この工事の中で、日本で最初といわれた多くの工法や記録が確立されていきました。さらに1971年(昭和46年)には、東洋一の大規模揚水発電用ロックフィルダム、高瀬ダムを受注。こうして、前田はダム建設のリーディングカンパニーとしての地位を築き上げていきました。
「土木の前田」として、揺るぎない実績を重ねてきた前田建設。その歩みは、建築分野への進出でさらに加速していきました。初の建築工事は、東京電力戸山変電所。土木工事に付随するダム管理棟や公団住宅から始まった建築事業は、1960年(昭和35年)の建築部設立から本格化していきます。同年には、大型建築物件の住宅・都市整備公団・常盤平団地を受注。続いて、東京税関庁舎をはじめ、福井県会議事堂、姉崎火力発電所超高圧開閉所、皇后陛下御還暦記念桃華楽堂を施工するなど、都市土木建築とあわせ、まちづくりをトータルに担う企業へと成長していきました。
国内で鍛え上げた前田の技術は、海外でも高い評価を受けていきます。1963年(昭和38年)に戦後初の海外工事として進出した香港では、香港政庁クワイチュン開発計画第2期工事、「世界一の空港」と評される香港国際空港ターミナルビル、香港紙幣の絵柄となったカプスイモン橋など、現地に欠かせない建造物を次々と手がけていきました。最大の実績は、ランブラー海峡を跨ぐ全長1,596メートルのストーンカッターズ橋。世界最大級の斜張橋として2009年(平成21年)に竣工し、香港の社会基盤として街を支えています。
タイでは、国連が決めた戦後最大の道路計画「アジアハイウェイ」に日本企業として初めて参加し、1965年(昭和40年)着工のランパン─チェンマイハイウェイ建設を担当。さらに、バンコク国際空港拡張工事やダオカノンーポート高速道路建設を経て、民間工事へと事業を拡大。ベトナムではダーミーダム水力発電所建設から始まり、現在はホーチミン市で地下鉄トンネル工事が進んでいます。このように、前田の土木事業への信頼は世界の舞台へと広がっていきました。
1968年(昭和43年)、前田建設は「誠実・意欲・技術」からなる「社是」を制定しました。これは初代前田又兵衞が、日頃から口にしていた「誠実・意欲・技術を旨として、何事にも責任と情熱を持って率先垂範、陣頭指揮を執る」に由来しています。
─儲けることばかり考えていたのでは事業は永続きしない。そこに真心があり、取引先と心の触れ合いがあってこそ事業は永続し、発展する。(「誠実」より)
─仕事、それは自分との戦いである。負けないという自負心や、打ち克たねばならぬとして己を鞭打つこと。人生においても不可欠な心の糧である。(「意欲」より)
─工事の出来栄えをひと目見れば、これは前田がやったのだということがわかるような仕事でありたい。他人のまねをするより、他人がまねたがる「技術」それが我々の売りものである。(「技術」より)
三つの言葉からなる「社是」の中で、「誠実」こそが、創業者の心を表す最も適確な言葉。制定から50年余りを経て100周年を迎えた現在も、私たちはその意志を未来へ向け受け継いでいるのです。
公共工事から始まった建築事業は、1980年代には民間工事へと本格進出。光が丘IMA、牛久駅西口地区第一種市街地再開発事業など、工場、集合住宅や商業施設へと展開していきました。1986年(昭和61年)には、高層RC建造物の開発に着手し、その2年後に財団法人日本建築センターの「高層コンクリート構造技術委員会」の審査が終了。その間に前田独自の構造設計法、部材の性能評価、施工法を確立させていきました。
1991年(平成3年)には、前田建設初の高層RC造21階建マンション、ライオンズタワー東札幌が竣工。これ以降、天王洲セントラルタワー、光が丘の超高層ビルJ.CITY、さらには日本初の開閉式屋根を備えた福岡ドーム建設へと挑戦を続け、建築技術の拡大を進めていきました。
RC建造物設計・施工の技術開発を進めた前田は21世紀を迎え、次なるステージへと成長していきました。2003年(平成15年)、横浜みなとみらい地区に免震装置を備えた高さ100メートルの高層マンションM.M.TOWERSを建設。さらに2008年(平成20年)には、勝どきの再開発事業として、国内最高階層となる200メートルのツインタワーマンションTHE TOKYO TOWERSを竣工しました。数々の実績を重ねる中で、超高層RC造集合住宅の設計・施工システムMARC-Hシステムを確立。主要躯体のPCa化による合理化施工で、高品質・高耐久性の高層マンションを次々と誕生させていきます。
そして前田のPCa施工の集大成として、その技術を惜しみなく投入した工事が、2014年(平成26年)竣工のパークコート千代田富士見ザ タワーです。前田建設が昭和初期から事業を営んできた地を、飯田橋駅西口地区再開発として生まれ変わらせる一大事業。現在、前田建設本店を含むオフィス棟飯田橋グラン・ブルーム、商業エリアのサクラテラスとあわせ、「飯田橋サクラパーク」街区となり、前田がめざす地域と一体感あるまちづくりそのものとして、賑わいを見せています。
欧米で20世紀終盤に巻き起こった経済不況は、建設業界にも大きな影響を及ぼしました。21世紀、この波は日本にも例外なく押し寄せ、従来のビジネスモデルでは企業の存続そのものが危うい時代となった現在。これからも、前田建設が社会への価値を持続的に提供し、くらしを支える存在であるために、私たちが目を向けたものは、欧州で実績を上げていたコンセッション事業でした。
新規建設需要が縮小し、既存建造物の維持管理需要が拡大していく中、前田は従来の「請負」のみのビジネスモデルからの転換に舵を取りました。公共施設を建造するという従来の請負の範囲を超え、その運営にも携わり維持管理していく。建設業自らが、企画・計画から、設計、建設、運営・維持管理、点検・補修まで、上流から下流の全てを担っていく。MAEDAは、未来の建設会社の姿として「脱請負」への歩みを始めたのです。
「脱請負」に向けた事業の中で、先陣を切ったのは再生可能エネルギー発電。地球温暖化による気候変動問題が叫ばれる中、「環境経営No.1」を掲げた前田建設にとっては真骨頂といえる取り組みです。2013年(平成25年)、茨城県つくば市で最大出力2MWの太陽光発電の売電を開始。岩手県大船渡市では、2015年(平成27年)から最大出力18MWの五葉山太陽光発電所の売電を始め、震災被災地の復興事業として地域に貢献しています。また、秋田県八峰町では最大出力20MWの八峰風力発電所が2019年(平成31年)稼働、山口県下関沖では最大出力60MWの安岡洋上風力発電事業も計画するなど、再生可能エネルギー発電事業を着実に進めています。
こうして超高層RC造建造物を含む集合住宅分野でも、業界のリーディングカンパニーとなった前田。しかし、私たちが思い描きめざすものは、建造物を造り上げることにはとどまりません。それは、これまで100年の歴史で培ってきた建築技術を活かし、未来のまちづくりを創造すること。
例えば、2014年(平成26年)の岩手県住田町新庁舎建設では、「森林・林業日本一」をめざす住田町の木材を可能な限り利用しました。地元林業の活性化を図るとともに、開かれた建設現場として、住田町の職人や建設会社とのコラボレーションで施工を実施。木造公共施設のモデルケースとなる、地域社会への価値提供を実現しました。私たちが手がける建造物が、それぞれの地域社会へ価値を生み出し、人々のくらしと経済を活性化させる。そんな未来のまちづくりの担い手となるビジョンをMAEDAは抱いています。
国内第1号のコンセッション事業は、仙台国際空港の特定運営事業。複数の他企業と組んだコンソーシアムで運営権を獲得し、長期にわたる民間運営を2016年(平成28年)にスタート。また、同年10月に始まった愛知県有料道路コンセッション事業では、県内有料道路8路線の維持管理、運営、改築などを進めています。さらに、2019年9月に誕生する、愛知県国際展示場(Aichi Sky Expo)のコンセッション運営など、地域の活性化を促す「脱請負」のビジネスモデルを着実に拡大しています。
1919年の初代又兵衞の創業から100年で培ってきた前田の挑戦の歴史、そこには一貫して「良い仕事をして 顧客の信頼を得る」という創業理念が受け継がれています。私たちがめざすもの、それは事業を通じてさまざまな社会課題を解決し、持続可能なくらしを支える「CSV経営No.1」の企業。次の100年に向けた、新しいMAEDAの挑戦(Change!)はすでに始まっています。